@インジェクション化以降の車。
予兆
・イグニッションをONにしたときの燃料ポンプ作動音がうるさい
・エンジンがかからなくなったと思ったら数時間後に治っていたりする
症状
・イグニッションをONにしても燃料ポンプが動かない(作動音がしない)
・スターターは回るがエンジンがかからない
・プラグホールからちょこっと燃料を入れると一瞬かかるがすぐ止まる
チェックポイント
・ヒューズ
・イナーシャスイッチ
・リレー
・ポンプに繋がってる配線
・ポンプ本体の配線
・ポンプ自体
原因確認方法(上から順にその場でできる順)
・ヒューズ
目視
・イナーシャスイッチ
とりあえず押しとけ。場所はポンネット開けて右奥の丸いスイッチ。上からpush。
イナーシャスイッチの配線(特にコネクタ接触)も確認。
・ポンプ本体に繋がってる配線
黒がアース、白が+。
コネクタの黒の方に配線に電線か針金を差し込んでバッテリーのマイナスに接触させておき、
イグニッションをON(スタータはまわさない)。
ONにしてから数秒間12Vが来てるか確認。来てなければ↓へ。来てたらポンプ本体かタンク内の配線。
・リレー
配線図から追って通電確認するかリレー開けてみて動作確認
・ヒューズポックス
ボックス裏側の配線を確認。
ここまでやって問題なければポンプ本体かポンプの配線(タンク内)。
ポンプの外し方
・トランクの荷物とスペアタイヤを出す
・一応バッテリーのマイナス端子を外す
・タンクのキャップ開ける
以降最後に閉めるまで開けっ放し
・タンクからガソリン抜く
全部抜かなくてもいいけど、10L未満くらいにしておかないと溢れるし重い。
・配線を外す
燃料系の配線(タンク横)と上部のカプラー
・ホースを外す
タンク上部の燃料ポンプに繋がっているホース2本を外す。要ペンチ。燃料漏れるのでウエス必須。
・タンクを外す
タンクを止めているバンドを固定しているポルトを外す(13mmソケット+延長)
給油口ごと外れるので前後並行に右側へ移動。
・ポンプを外す
タンク上部のナット(たしか12mm)を外してポンプを抜く。
ポンプ自体の配線を疑う場合はここで確認。
配線だけ繋いでみて、12Vが来ているか確認する。
ポンプを交換する場合、ゴムのガスケットを再利用するなら古いポンプから外して付け替える。
あとは手順を逆に。
今後の対策
・燃料フィルターが詰まってポンプに負荷をかけている可能性があるのでフィルター交換
・タンク内の錆や汚れが原因でフィルターが詰まるのでできればついでにタンク内清掃
・燃料ポンプはタンク内の燃料で冷却しているので、空になる前に早めに給油
医学と芸術:生命と愛の未来を探る 会期は〜2010年2月28日(日)、森美術館にて。
森美術館が時々行う、賛否両論覚悟としか思えないチャレンジ企画。そして今回は現代アート・近代美術・医学資料・医療器具とごった煮な上にいつも通り点数が多い。
1回で内容や意図を理解するのは私には無理…ということでオープニングレセプションとその後2回行っての感想と私見を幾つかの作品に絞って書いてみる。
森美の掲げたテーマは下記の3つ。
・どのように身体のメカニズムとその内部に広がる世界を発見してきたのか
・老いや病、そして死をどのようなものと捉え、またそれに対して、いかに抗ってきたのかを紹介
・なぜ生と死の反復である生殖を続けるのか、生きる目的や未来を読み解くことは可能なのか、そして生命とは何であるのか
個人的な鑑賞テーマは下記の3つ。
・生命と医学に対する執着と諦念、医学者や研究者の想像力はアートたり得るか
・戦争などの人為的な行為によらないではない生死はアートによって問題の提起ができることなのか
・多方面の技術が発達した今、テクノロジーを用いたアートは限りなく医学に近づいている事をどう考えるか
まず、本展の目玉はダ・ヴィンチの素描3点。1489〜1508年頃に描かれた、頭蓋骨の秀作(写真 森美術館blogより)、肝臓の血管、脳室。もちろん文字は鏡文字。
別の部屋に展示されていますが、今回の展覧会には、人体の不思議展の仕掛け人でもあるハーゲンス博士の薄くスライスした人体のプラスティネーションが展示されている。プラスティネーションは「刺激が強いのでご注意」な作品ばかりを置いている部屋にて展示されていたが、流れとしては類似の制作手法という点でダ・ヴィンチの素描に繋がるもの。
ダ・ヴィンチは芸術=科学に基づく創造として考えていた。ハーゲンス博士は、プラスティネーションについて「通常、死を直視するのは愛する人を亡くした場合に限られるが、このショックは大きいものだ。それゆえに死について考えることに心を閉ざしてしまう。私がしていることは、死体にプラスティネーション処理を施し、生きているときと同じような美しさでそれらを見せることによって、生と死の隔たりを狭めることだ」と語っている。
両者に共通する疑問と探求心は現代アートの相似形であり、意図や死について考えるという問いかけはアートたり得るが、美しいということは安易に隔たりを埋めることなのではないかという疑問を感じた。
ダ・ヴィンチの素描とハーゲンス博士のプラスティネーション、元はいずれも医学研究の産物だが、逆にアートの立場から医学を描いたものの一つが、ダミアンハーストの外科手術(マイア)(写真 森美術館blogより)。
展示作品の制作年は2007年ですが、2005年夏に3男が生まれた時の帝王切開の様子を描いたもの。
「ヨメの帝王切開を作品にするかいな」という個人的な感想はさておき、生死をテーマにしてきたダミアンの作品としては順当ですが、彼の他作品に対して決定的に違うのは、「倫理的に順当かつ写実的に描いた作品」ということ。自ら制約を設け、一体何を表現したかったのか。
この作品について作家が語っているのを不勉強にして知らないのですが、私は人間が別の人間に対して行う医療行為という行動の中にある道徳と倫理のように感じた。
今回の展示を見た人が現場で述べていた感想は「これ写真?」「うまいねー」ばかり。この感想こそ、美しさが安易に死生観や倫理を考える事から逃れさせている証左ではないか? パートナーの帝王切開シーンだということが強調されることで、作家のメッセージがより伝わらなくなっているのではないかとも思う。
ちなみに、ダミアンは3男の誕生から2年後、18世紀の本物のスカルをかたどったプラチナに8601個のダイヤモンドを鏤めたFor the love of god(写真)を発表。
ダミアンは当時「アートが何なのかを気に掛けるのはやめた。ギャラリーの壁や床に展示してあれば、それが多分アートなんだろう」と発言していますが、これは私にはメッセージを作品に込めることに諦観したということとしか思えない。For the love of godは確かにインパクトのある作品ですが、何の問いもメッセージも感じなかった。
話は変わって、ウサギにクラゲの蛍光物質を作る遺伝子を組み込んだエドワルド・カッツ作品のGFDバニー。
遺伝子操作を動物に対しアートとして行ったことに対し、「神にでもなったつもりか」と批判的議論が発生した作品。
今回の展示、映像とパネルによるGFDバニーの反対側にある壁面には、研究者の男女が豚のような謎の生物を扱う4枚の組写真、サイエンス・ストーリー(作者 : パトリシア・ピッチニーニ)が展示されています。それぞれの写真単体のサブタイトルは実験・倫理・研究・命題と結論。狙って向かいに配置してるとしか思えない。
私にはこの作品の生物がGFDバニーの隠喩にしか見えなかった。そして研究者は大衆としての我々。まるで、男性はとまどいを、女性は具体的な解決に向けた行動を示唆しているようだ。
医療テクノロジーを用いたアートが暴走する可能性は既にカッツによって現実のものとして提示されているが、事象が拡大するとサイエンス・ストーリーの研究者はいずれ我々自身になる。
マジメなのばかりなのも何なのでおもしろ作品。ジル・バルビエの老人ホーム(写真 森美術館より) 。素直に笑えます。展示の中に書籍・雑誌が積んであるのですが、よく見ると何の本なのか分かるようになってます。ネタバレっぽいので内容は注釈にて。見た目オモシロ作品において、死に対する意識や若さへの執着をここまでどストレートに表現しなくてもというのが個人的にツボでした。
最後に、上出惠悟さんの「髑髏 お菓子壷」三種。
個人的に好きな作家さんが出展しているのは素直に嬉しいし、1年前に新宿の伊勢丹でお会いして制作をお願いした方がまああっという間に偉くなってしまってというびっくり感。
それにしても気になるのは、なぜこの展示で上出さん…。確かに髑髏だけどさ!!
レセプションにてco-curatorの広瀬さんに尋ねたところ、「南條さん(森美館長)が上出さんの作品を好きで個人的に所有しているから」とのこと。
それはそれでびっくりなのでしたが、現代美術で良く扱われるメメント・モリと、九谷を含め陶芸での髑髏はコンテクストが違うという面白さを、観た人は分かるのだろうか。
アートを見慣れていない人からマニア級の人までごった煮でとある展示を見てきました。
そこでちょっと気になったこと。わりと苦言気味。
●アートについての啓蒙活動とは何か
ある場所に展示されている美術作品を語るには、いくつかの切り口が存在する。
個人的には下記の7つなのですが、1〜6は「知識が必要で解りにくい」らしい。
1.作品に含まれる思想や問いかけ
2.1に対する自分なりの解
3.作家の他作品や経歴
4.製作方法、技術
5.展示されている他作品との関連性
6.コンテクストに対する作品の位置付け
7.素直な面白さ
そもそもアートって何よというところからいくと、ジョン前田氏の言葉を借りれば「アートは問を発するもので、デザインはソリューション」。全くその通りだと思います。
デザイン=ソリューション=課題に対する解を提示すること=見る側にとっては解りやすい解を提示させること、
アート=問いかけを提示すること=解は見る側が考えるもの。
問いに対する解は人それぞれであるべきで絶対的な解は必要ないし、作品によっては、何を問いかけているのかすらも自分の解釈でいい。
さて、そこで「でもやっぱり難解なんだから解りやすくしましょうよ」と言われると困るわけです。
問いを発するものに対して解りやすい解決や解釈を与える事がアートの楽しみ方/啓蒙なのか?
それってカノッサの屈辱の逆バージョンじゃないのかと思ってしまいます。
カノッサの屈辱は視聴者が知っている消費文化を諧謔的に遊ぶからこそ面白いのであって、逆にしてしまうと、アートの価値の一つである日常生活の範囲でしか思考しない事からの脱却を求めることを減じてしまうのではないかと。
アートの免罪符(言い換えるなら制約の無さ)は良い点でもあり悪い点でもあるのだけれど、
良い点である自由さや社会への問いかけを、解り易さという制約で狭めるのは間違っているのではないでしょうか。
悪い点として、好んで解りにくくしているような方もいらっしゃって、それはそれで如何な物かと思うのですけれども。
●長年見ているとエラいのか
時々いらっしゃいます。「**年見てきたけど云々」と仰る方。
そういう方に「あなたのコレクション(買うのはカネかかるので脳内でもOK)には何が入ってるのですか?その作品/作家を選んだ理由はなんですか?」と聞いてみた事も昔々あるわけですが、自分の基準を1つ以上明確にお持ちの方もいらっしゃるものの、「そんなものはないが長年見ているとわかることがあるのだ」という方も多い。
ただ見てきただけで解るのはメインストリームの変遷くらいであって、テレビ垂れ流しと変わらんではないかと私は思うのですが、「美術館行きます、アート好きです」というのがステータスだと信じて疑わない方々も結構多くいらっしゃるわけで、しかもそれが美術館に行く人のメインストリームであるのも事実。
アートは身近に置いて楽しむもの/考える材料にするものだという視点が欠けている人が多いのは、実はこういったテレビ的消費cultureとしてのアートという文化が根付いてしまっているからなのではないかと思うとともに、上で書いた「解りやすさによるアートの啓蒙」というのは、結果としてこういった「美術館に行くだけ」の方々が増えるだけなのでは…とも思うのです。
●所有する楽しみも体験してみましょうよ
「アートを買う」という行為はどうやら一般的にもの凄く敷居が高いようです。
そのためか、「ギャラリーなんて買えないから行けない」という方も多いらしい。
ウインドウショッピングのつもりで行けばいいと思うのですが…。
大御所モノの作品は手の届かない値段になってしまいますが、若手のものなら数千円数万円から入手できます。
運が良ければ、自分が惚れ込んだ作家が評価されるまでの経過を楽しんだ上に、持っている作品の価値が化けることもあります。
まるでインディーズバンドやジャニーズJrに入れ込む人みたいですが、若手作家の作品を買うというのは概ね似たようなところがあります。
何よりも、自分が惚れ込んだ作品を手元に飾るというのは楽しいこと。
工芸品をはじめとする使える作品であれば、飾るだけでなく使い倒してもいいのです。
臆せずギャラリーやアーティストに突撃してみて入手してみてはいかがでしょうか。
専属のギャラリーがある作家さんでなければ、直接作家から買うことも可能です。
私自身も作家の考え方や作品に込めた考えを聞いてから買いたい人間なので、作家さんと直接話をして買う/制作してもらう事が多いです。
ちなみに、ギャラリーで開催されるオープニングレセプションは大抵の所が一般客でも入れます。
内輪感漂いまくってる所に行くのが嫌なら友人を一人二人連れて行けばいい。
アーティストも来てるし作品も見れるしメシ食えるし行って損はありません。
青山スパイラルで今日から開催の上出長右衛門窯 上出惠悟さんの展覧会、”KUTANI CONNEXION“オープニングレセプション。
うちの奥様が惚れ込んだ作家さんで、お子様誕生を記念した内祝いの制作をお願いした作家さんでもあります。
詳細な紹介は弐代目・青い日記帳さんの記事をどうぞ。
スーパー手抜き。すいません(苦笑
1/20まで11:00〜20:00(会期無休)で開催中。ぜひどうぞ。
1月20日(水)19:00〜で森美術館館長の南條さんとのアーティストトーク。
1月9日(土)、10日(日)、16日(土)、17日(日)の各15:00〜と18:00〜にて、九谷の伝統文様や長右衛門窯ならではの絵柄を特別にシールにして、器に張り付けることで九谷焼の絵付けを気軽に楽しめるワークショップも開催。(作った作品は長右衛門窯で焼き上げた後お手元に届きます。
絵柄は新年っぽいおめでたい感じで楽しげでした。奥様は別のワークショップで既に参加済ですが俺はまだなので是非いきたい!
現在森美術館で開催中の医学と芸術展にも上出さんの作品が展示されています。
こちらもよろしければぜひ。
以下個人的感想というかびっくり。
鏡餅がでかくなってた!
我が家の新年ムービーに、もりぞうさんと一緒に出演している鏡餅が巨大化していました。
我が家の鏡餅もそまさんともりぞうさんと一緒に巨大化させたいものです。
20年後にはガレージいっぱいサイズの鏡餅+ゴジラサイズのもりぞうさんに!
すいません。妄想です。
↓はうちの内祝いにそっくりな(笑)作品(台上の杯2つ)。
元ネタは我が家の我が家の内祝いは奥様の要望でどちらも青+青海波、わんこはるーたんっぽく茶色の一回り大きな杯です。
内祝いは夫婦杯にしたので、青赤のコンビネーションでもよかったかなあ。
小ぶりのるーたんっ(ぽいわんこ)がキュートでした。(写真では白飛びしてますが、赤い杯の中にわんこ、青い杯の縁に一貫人がいます)
内祝いだ!とこっそり主張してみるとともに、気に入ってくれて作品化してくれたのはすごく嬉しい。
そして我が家の箸置きは奥様のごり押しご希望により一貫人(入って右手にある塗り物の台に乗ってる箸置き)になりそうです。
●従業員代表を監査役に
ドイツの事例をちゃんと検討したのだろうか。
ドイツでは従業員数2000人以上の企業は共同決定法が適用され、監査役(ドイツでは取締役の選任権は監査役会にある)の半数は従業員・労働組合から選出されるが、監査役会会長は株主により選任された監査役員となることが多く、株主指名監査役の方が優位に立つ。
結果、執行権限としてはほぼ株主のコントロール下にあり、レイオフや精算時における労働者保護だけが目的となってしまっているため、レイオフはできず精算はできずさりとて救済に乗り出しても同じ現実が待っているため他の企業も手を出しにくい。さらにレイオフが難しいため共同決定法が適用される会社は非適用会社に比べて事業開始リスクが高い。
さて、日本で導入した場合にはどうなるのか。
そもそも監査役は執行権者の業務遂行を監督することが目的であり、利権を代表する政治家ではないのだが、従業員・組合の代表者が監査権を持って、労働分配率の引き上げ以外の目的をもって監査が可能なのか。
監査役に執行権が無い日本において、監査役に1人や2人送り込んだところで従業員にとって効果があがるわけでもなし、単に監査役会の機能が弱体化するだけでありガバナンスの強化には何の役にも立たない。
むしろ、監査役が大手を振って「うちの会社はこれだからだめなんだ!」とメディアに叫ぶ事の方が企業にとっては問題なのではないか。
もしそこまで読んで、「叫ばれないようにあの監査役の意見も容れよう」となることを期待しているのであればそれはそれでいかがなものかと思う。
●親子上場の禁止
資本市場の透明性確保や健全化というのは分かるが、親子上場禁止というのはどうなのだろうか。
ベンチャーにいた身としては割と身近な話なのですが、IPOがexitの一つの手段なのは事実。子会社といえどそれは同様。
新事業を育成して産業育成と内需拡大を図りたいのであれば、exitの方法を減らすことは起業家やシード期従業員のモチベーションを低下させるだけでなく、資本や自社にはない力を導入して事業の拡大を目指すことも難しくなる。
さらに、上場企業が出資して子会社が一定の段階まで行ったら子会社に時価で買い戻させろというのか?原資は?
確かに現在は親会社と少数株主では権利が平等ではない。しかし対策として上場禁止というのは早計に過ぎるのではないか。
親会社は上場時において普通株式を一定比率までしか保有してはならず、売出において比率調整を行うか議決権制限株式への転換を強制するなど方法はあるはずなのだが。
滅多にこの手のエントリは書かないことにしてるけど、今回のはあまりにもひどすぎる。