ここ1週間を、一休み+自分のvisionを再確認するための時間に使った。だいたい纏まったかな。

考えるのに必要だった時間は実質2日間。これまでもずっと目標にしてきたことをあらためて考える時間としては長い。それだけ自分の目標とは離れた要因に引っ張られていたということだろう。

目標は「自分と周囲の価値増大」+「知的好奇心満足」の両立。

以前であれば「事業と自らの価値増大」という回答だった。

今は「そりゃそうだけど、一緒に過程を越えていく中で周囲の人達の価値が上がると嬉しいよね」と思うし、願わくば周りの人それぞれにも同じ思いを持って欲しい。

こう思うようになったのは、上司と部下という関係以上に信頼できるスタッフに恵まれ、彼らのチームと共に仕事ができたからだろう。心から感謝。

知的好奇心だけを追い求めるなら学究の徒となればいいのだが、両立させるには営利非営利を問わず業を営むしかない。

自らの価値を高め、文化的に新しい価値をもって世の中を動かし得るとともに、より先のVisionを描き得る事業。この人の価値が上がると嬉しいと思う人。

この条件下では、選択肢は数多くあるわけではない。が、後悔する選択はしないだろう。

選択肢が無ければ、納得できる選択を実現できるまで、霞を食ってでも考えるよ。

しかし俺NEATに向いてないな。

これまではDvorak配列でローマ字変換だったが、1文字入力するのに2文字打鍵するよりも1文字打鍵するほうが楽に決まっている。
時間もある事だしカナ入力に変えてみた。
楽なのだが、同じ指で続けて打鍵することが少ない分だけDvorakの方が速いかも。
慣れもあるだろうけど。
しかしカナ入力の人は「ひ」〜「ね」あたりはどの指で叩いてるんだろう。
親指で叩くのが一番楽な気がするのだが。

TS320015.JPG桜咲いてるかなと思って来たがちょっと早かったかな。
でもまあ天気いいし最高のオープンドライブ。気持ちいい。
小田厚→箱根新道→20号→伊豆スカで冷川→18号で西伊豆ほ→17号で土肥へ(ここの戸田−土肥が桜並木&海沿いで気持ちいい)→土肥で一休み&昼飯→小金崎公園(こちらもまだ5分咲き)→西伊豆スカイライン&17号で修善寺→80号(伊豆スカの裏道。車少ないし熱海までの最短ルートの峠越えワインディングなのだがあまりにも道が狭い)で熱海へ。
TS320013.JPG途中でえりぞうさん30,000km突破。
年間10,000kmペースか。結構走ってるなあ。
そのまま熱海に来てメシ→爆睡→温泉&読書。
カメラ忘れてきたため写真がは携帯にて。
W31Tのカメラ、ダメだなあ…
そろそろ東京に帰るか再び土肥に向かいます。
(移動NEAT生活中)

ネットワークエンジニアってすげえというかフィールドエンジニアかな。いや、マニュアルの無い業務のoperatorはみんなか。心臓が束子なんじゃないかとすら思うよ。今は。
土曜日に自分や結構多数の人数が使っているserverの/home以下(個人のもの置く所)を全部ぶっとばしかけまして。しかも単なるちょいミス一発で。これまでに1万回は叩いてるコマンドなのになあ。
運のいいことにコマンドが削除ではなく移動だったので復旧できましたが、一瞬無くなったような錯覚に陥ってテンパりましたよ。…35分ほど。頭の中は「戻せねえ!どうしようどうしようどう…(以下ループ)」とか「損害賠償…になったら幾らだろう」とか埒もないことばかり。ダメぽ。
ということがあり、できるのが当たり前なんだがミスったら大災害になる危険を常に抱えながら、平気な顔してやってる人達はすげえなあと思ったわけですよ。
…自分のやってる事のリスクを感じていないだけ?
どっかで事故るだろうねえ。僕みたいに擦過傷程度で済むといいのですが。(-∧-)

資本主義社会に於いて業を営む以上、目の前の状況が利益追求に対して正しくないと思えば是正するべきだし、大きな事業も目の前にある小さな問題も基本時には同じ「問題(または可能性)→分析→仮説→検証→最大の速度で実行」というプロセスで解決していけると思うが、その時の仮説は「これを実行することで**日後(場合によっては**時間後、**年後)に[具体的な数値]程度利益が増加し、関係者(もちろん貴方も私もその一人だ)がこれだけhappyになる」ということを、納得できるだけの説得力を伴って満たすものであるべきではないか。

今やろうとしている事は、関係者に利益(及び精神的充足)を与えることが出来ることなのか、それとも個人の趣味を人を使って遂行しようとしているだけなのか考えるべきだ。「自分のカネでやってるんだから文句ないよな」では人のモチベーションやコミットメントは得られないのだから。

一時期、というよりも結構長いこと、こうやって考えながら文章を書いたものを表に出してきた。しばらく止めていたのは思考を整理する方法が変わったわけではなく、表に出した思考が自分の周囲にnegativeな影響を与える可能性を考慮してだったが、どうやらそんなことは考える必要も無かったらしい。ということで再び書くことにしてみたよ。

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