経緯はこちら。自らトゥギャるのはどうなんだとも思うけどw。

…ということで納期間際で大変なことになっている梅ラボさんにプリンターを届けてきました。

持って行ったプリンタで試し刷りをしつつ1時間ほどアトリエで話をするという珍しい経験をすることになったわけですが、まあ偶然美術作品を買う側の人間がプリンタを届けたのだし、せっかくなので作品や作家さんについて書き残しておきます。

取材で行ったわけではないので、梅沢さんの具体的な発言は披露できませんが、まあ私はこう思ったよ、という程度に。

そもそも私は梅沢さんの作品をどう見ていたのか。

ワタクシ、偶然にも土曜夕方にCASHIで梅沢さんの個展を見ています。見た直後のtweet。誤字もそのままw。

「cashiでやってる梅沢和木点。少なくとも2点はかなりいい。この手のが好きじゃない俺が思うってことはかなり良いのかもしれませぬ…。にしても完売かよ。」

ここで「この手の」と書いたのはいわゆる「萌え絵」的な静止画のこと。
(漫画の様式について詳しくないので、正しくは「萌え絵」ではないのかもしれません。指摘してくださるとありがたい)
個人的には、あの手の絵はストーリーがあるからこそ活きるのであって、紙の上に絵だけ留めるのは醜悪だと思っている。
…のですが、好みではない素材だとはいえ梅沢さんの作品はよかった。
珍しく具体的な話も雰囲気もないtweetなのは、どこが良かったのか自分で分からなかったから。

さて、作家さん本人とゆるーく話をしてみてわかったこと。

いいと作品だと思った理由は簡単だった。
いい作品を作るのに必要な視点を梅沢さんは持っているから。

話をしている中で、梅沢さんにとっての「萌え絵(あってるのかな…)」という話になった。
そこで梅沢さんが言った視点の事こそ彼の芯の部分だと思うし、いい作品を作れる前提として当たり前すぎる事だから。
あまり話をしている事を聞いた事がないのでなんですが、あの話はあちこちでするべきだと思うんだ…。
言葉を選んでたからそんなに話慣れている事ではなさそうだと思った。

あの一言が聞けただけで、深夜に持って行ったかいがあった。
話の対象は「特定ジャンルの絵」についてだったけど、彼の回答は狭いフィールドの中の話ではなかった。
視点を明確に持ち続ける限り彼の作品には芯が一本通るだろうし、もしも彼が対象としたものが漫画やアニメではなかったとしても、違うものに素材の対象が変わったとしても、作品の質を維持できると思う。
既にそうなりつつあるのだろうけど、価値の明確化や立ち位置の変化についていける作家さんだとも思うのです。

えらく持ち上げてるように見えるかもしれないけれど、彼が言った一言を言える作家はあまりいない。
モチーフとして選んだものについて「好き」「嫌い」「面白いから」という理由を挙げる作家は多いけれど、そこで止まる作家は結構多い。

私は、個人的に親しい同世代や若手の作家に対して、「なぜ好きなのか、美しいと思うのかを自身のコンテクストを絡めて自分の言葉で表現しないと伝わらないよ?」という事を言うことがあります。
彼のコンテクストについては聞きそびれましたが、彼が言ったことは私が求める言語の構築に必須なもの。
そして、彼は何でもないことのようにさらっと言った。(ほんとになんでもない事なんだけどね)
そこに作家としての強度の基盤を見たように思うのです。

しかし、俺はやっぱりあの手の絵は好きじゃないんじゃよー!!
モチーフ変えてくれないかなー。無理だよなー。趣味くらい聞いときゃよかった。

そうそう。結果的に未公開のデカい作品になるものを見ることになりました。
作家が制作に使っているPC&ディスプレイで。
話をしている中で、最終的に作品を表示するデバイスの話になりました。
あえて当たり前の事を言うけど、私は彼のディスプレイで見たものが一番綺麗だと思う。
評価されるのは大きい作品だとも思うけど、彼がディスプレイに全体を表示したままのサイズが一番美しいと思った。
試し刷りの出力でもクローズアップで見ているけど、正直なところ美しいとは感じられなかった。
(試し刷りは1mに満たない長さだし、かなり大きな作品になるもののの一部なので分からなくても仕方ない、ということで許してください…)

あのままの色で、あのサイズで出力できるなら俺は買う。
出力した上にペイントすることで作品の質や強度が変わるだろうけど、ディスプレイの目の前で見たものでも充分。
素材となっているものが趣味にあわなくても、サイズは小さくても、圧倒的な存在感があった。

もし目の前で作家のアトリエで出力し終わった作品を壁に貼って見ることがあったとしても、やっぱり私には彼が作っている環境で見るのが一番美しいと思うだろう。
これはPCとディスプレイで作品を作っている作家の最後の悩みなのかもしれない。
自分でもディスプレイの質とサイズ・出力・カラーキャリブレーションで、自分の作る写真や図面がこうも内容が変わるのかとびっくりした経験があるけど、梅沢さんのは作品の作り方故になおさら大きくなると思う。

以下自分メモ。
以前、カオスラウンジに対してはこんな事をつぶやいた。

「某ラウンジな人たちがやっている事は、俺には「葬式」にしか見えないのだけれど、同世代(ほぼ。たぶん)の俺にとって00年代は葬る対象ではない。終わった、変わったならわかるけれど。そもそもここが根本的に相容れないのかもしれん…。」
「値付けをすることで生じる価値の明確化と立ち位置の変化に作家はついていけるのでしょうか… RT @takashipom: カオスラウンジの諸君の作品を販売する計画:発動 @Hidari_Zingaro」
「破滅ラウンジ、わたしゃサブカル感を全く感じなかった…。なんか使いつくされた古着の山を見てる気分だったよー。だからといって理系なオタ臭も感じなかったのだけど。」

葬式に見えたのは、具体的に「葬る」ではなく、葬る事に伴う心理という点で見ればよかった。
サブカル感を感じなかったのは正しかったと思う。
古着の山…という表現は微妙だった。あっているとしたら一度フィルターがかかっているという点だけ。

>梅沢さん
頑張って一日PCとプリンターの奴隷になってくださいw
作品が売れたら、絶対にいいPCとディスプレイとプリンタを買うべきだ!!

ホントにこの手の話をしたい人、する必要がある人を除いて、twitter上で美術に関するカネや市場云々の話に参入するのは今後金輪際やめておくことにしますが、disrespectされるのを覚悟で最後に一度だけ思いっきりカネや市場の話。

私は市場が拡がることを望まない。
少し前の現代アートブームの時に市場が拡大して何が起こったかみんな忘れたのだろうか。
自分にとっては、既に玉石混淆なところに石が増えて、玉は私の財布では買えなくなるだけのことだった。
それがいい事だ、と仰る方はぜひ持論をお教え頂きたい。(単に私が見えていないものが多いか不勉強というだけかもしれないので…)

市場の拡大云々言っている人は、自分の考えていることが作品を株券化することなのではないかと一度考えた方がいいのではないでしょうか。
そして、上場することで企業はどのように変質しなければならないのか、公開株式市場における実質的な値付けは誰が行っていて同レベルのアート市場では誰が行っているのかについても。
その結果美術に関わる人たちの所得が底上げされると思っているとしたら大間違いだし、美しいものが増えるわけではないのですよ。美術は一般からなおさら遠ざかっていくだけなのではないかと思うのです。

私は、素人なりに自分の目を信じているし疑ってもいる。ありがたいことに周囲には確かな目を持っているヨメやギャラリスト、作家さんもいる。
玉は磨かないと光らないのは確かで、そのための投資は必要なのだから、自分+αの目を信じて何らかの形で金銭以外を目的に投資できる人が増えてほしいとは思う。
そういった事ができるかもしれない人に対してのプレゼンテーションは確かに不足していると思うので、私は素人なりに自分のできることをやるだけです。

別件のジャンル分け云々について。

一昨日からジャンル分け云々について話をしたりdisられたり無視されたりメールでストーキングされたりwしておりますが、具体的な持論の提示や活動提示がないのが残念。

綺麗事ではなく、作家も食べていけないと作品作れない、他者の評価がないと自分の作品をどうしていったらいいか分からないと本音を言える作家はいないのか。
ジャンル内での主導権を市場の手にしたがっている人は理由も方法論も語れないのか。
知名度を借りることしか方法を見出せないのか。
そもそもマクロで語れる人も自分の視点でものが言える人もいないのか。

もしある集団(剛結合な組織〜緩いコミュニティクラスタまで)に問題があるとしたら、そこで行っていることや作っているものではなく、自分自身の明確な視点と知見を持っていない人がリーダーシップを取っているという事に尽きると思う。企業でも趣味でも同じだけど。

さて本題。twitterで書いたことでもあるのですが、「あなたの作っている作品は何ですか」という事に尽きると思うのです。
美術作品ですか?陶芸作品ですか?器ですか?
美術作品だと仰るなら、「あなたは偶然または恣意的に陶芸という手法を使って器の形をした作品を作ったのですね」というだけではないのでしょうか。
形態、素材、手法、そんなものは方法論でしかない。あなたが美しいと思ったものを形にしただけであって、なぜそれが美しいかをプレゼンテーションすればいい。(できればご自身のコンテクストに基づいて)
評価する側は、自分の審美眼やコンテクストに基づいてその作品を見るなり買うなりするのであって、陶芸として見る人は陶芸として見るでしょうし、美術品として見る人は美術品として見るのですから。

もしも特定の誰か(個人/組織を問わず)にウケたかったら、対象が求めるコンテクストを構築して作品を作ればいいのです。
(このあたりは某有名作家さんの持論をそのまま引用したいw)

ジャンル分けなんてものは本来、自身の目を信じられない人に向けてわかりやすくするため以外の効果はない。
自分自身をそこで縛る必要はないし、そんな狭い領域で自分の求めるものを表現できる人は美術なんてやらない方がいい。

対極として、極く狭い領域における極点を職人的に目指す、という方向はアリですけどね。
美術作品としての広範な扱いでもジャンルの中ででも評価はされないと思いますけど、個人的には凄く好きです。

最後に、匿名のメールで知名度のある作家さんの言葉を引用した総論的な反論を頂いておりますが、記名でご自身の持論をお伺いさせて頂きたい。

追記。
アートを広める云々についてずっと違和感をもっていました。多少関わったり話をしたりもしてきましたが、違和感は消えることがなかったし増幅されてきた。

自分が楽しいと思うことを周囲に啓蒙したい人と、ビジネスとして成立させたい人の手段が混在しているからだというのも違和感の理由の一つではあるのですが、違和感の根本は、私にとっては「アートを広める」ということそのものが、誰かが美しいと思うもの可能性があるものを美術作品としてジャンル分けする事に見えるから。
(↑までを読んだ人のコメントでふと気がつきました。ありがとうございます。)

私は、美術館は美しいもののアーカイブであってほしいし、ギャラリーはギャラリストが美しいと思うものを展示し販売する場所であってほしいと思います。
そして、それは美術作品という呼ばれ方でもアートでなくてもいいとも思うのです。

広めるものでも鑑賞するものでも買うものでもなく、目の前にただあってただ美しい、それだけでいいんじゃないかと。
私は目の前に「いつも」あってほしいから買うだけ。
…まるでもの派みたいな言いようですけれど。

ライブCDを買うように、綺麗な器を使いたいように、PCの壁紙を変えるように、好きなものを手元に置いておく。
そこに多少の知識と自身のコンテクストとのマッチングがあれば、もう少し楽しくなる。
それだけなんじゃないですかね。

…まあ、そりゃあんたが作品持ってるから言えるんだろ、昔から見てるから言えるんだろ、あんたのコンテクストの何割かに美術と音楽があるからじゃないかと言われたら何の反論もできないんですけど…。

昨日loftwork10周年記念チャリティーオークション境貴雄さんの作品を落札したわけですが、感想というか思ったことを。

●全体的な評というより感想
Ustreamでオークションを中継しつつ、twitterなり電話なりで遠隔から入札というのはいい方法。是非他のところでもやっていただきたい。
単に電話入札よりは状況が分かりますし、入札者の心理的にも有効でしょう。

とはいえ、よほど知名度があって値の決まっている作品以外は、事前previewは必要。
loftworkさんの会議室でもどこでもいいので事前に出品作品を一般に見せる場がある程度の日数あれば結果は違ったのではないか。

そもそも、今回は入札の事前登録が3名、うち1名は現地にいらっしゃったようでもう1名の藤井さんはロンドンからネットワークが繋がらなかったようなので実質的に遠隔から入札できたのは私だけ、というのは評するほどの母数がないわけだが…。
当日twitterを見ていた100人弱のうち何人が事前登録制ではなかったらbidしたのかが気になるところ。

●twitterから落札1した経緯など
今年はloftworkのパーティーに招ばれていなかった→当日Contemporary Art in Tokyoの中川さんにお誘い頂いたのですが時間に間に合いそうになかったので断念→UST中継を見つつtwitterから入札となったわけです。

しかしながら、実はもともと境さんの作品を知っている上に、同作品がtagboatで販売されていた時の値付けも知っている。
ということでノリとしては既存オークションへ電話入札してるのと同じ。
UST見ててついtwitterから入札しちゃった!というのとはちょっと違います。

●知らない作品でもWebカタログ+UST中継見て買えたのか
正直なところ買えません。一品ちょっと心が動いた作品があったのですが、それも
 ・元々作家の活動を知っていて他の作品を見ている
 ・だいたいの値付けを知っている
というもの。
それでも、作品によって出来が結構違う作家さんなので…
入札しようかなーとは思いましたが、考えていた数字は落札額には程遠いものでした。

●境貴雄さん
落札した作品の作家、境貴雄さんのwebsite。おまけでwikipedia
アートだなんだという前に面白い作品を作る人です。アイロニカルでありつつも初見一発で笑いを誘える作品を制作。

別のwebsiteでアズラー2のモデルさんも募集中。私も撮ってもらう予定。3月後半には小豆ヒゲな写真ができあがります。

  1. なんでも世界初のtwitterからオークション入札&落札らしいですが…ほんまかいな。海外だと既にありそうな気もしますが []
  2. アズラーについてofficialより
    近年、日本の人々の間では、小豆を顔に付けて「ひげ」に見立てるファッション(通称アズラー)が流行しています。
    古くはタトゥーやピアスと同様に、邪悪なものから身を守る魔除けを目的として用いられていましたが、最近ではカジュアルなファッションとして老若男女問わず、一般に定着しつつあります。
    また日本の新しい文化として海外メディアでもたびたび紹介されており、オタクやアニメに続く日本発のムーブメントとして、アズラーは世界各地に広まっています。
     …マジっすか!!!(笑 []

「アートと寄付はお金を使う感覚が似ているかも」というtwitterでの一言を見て考え始めたこのエントリ。
周辺情報の整理を含めてものすごく肥大化したため3つになりました。
分かってる人には「知ってるわい!」というネタが大すぎるのは恐縮ですが…。

そして当日にこのネタを語る飲み会の会場でUP。

本編はこのエントリ。
アメリカと日本の税制とマインドにおれる比較、日本で同様の制度とマインドになった場合の超ラフな試算編はこちら
アートというより寄付先選定を視点とした日本のNPO法人の現状ついての愚痴はこちら
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そもそもアートは営利活動です。作るにしても売るにしてもご飯食べなきゃいけませんし、過去に遡っても依頼者からの注文を受けて作品を制作納品して対価を得ていたわけですし、作品が貨幣との交換価値を持って流通するようになった後はなおさらです。

しかし、アートには寄付という概念がつきものです。
アメリカを例として税制やマインドにおいてどうかは別のエントリを参照頂くとして、問題はサービスです。
寄付にサービスというと違和感があるかもしれませんが、寄付する側は寄付の対価を最大化することを求めます。対価とは、ある人にとっては満足感かも知れないし、ある人にとってはそれをアピールすることによる社会的地位の確立かもしれません。
海外の美術館やオーケストラなどは、寄付者を満足させるために寄付額に応じたベネフィットを設定しています。レセプションや食事会への招待、内覧会、寄付者限定の演奏会、額によってはオケのメンバーが出張して小編成生演奏なんてオソロしいベネフィットを設定している所があったりもします。
アーティストも同様。作品制作費用の寄付を募る場合、制作過程の公開、一般公開前の内覧、作家からのメッセージカード、場合によっては出来た作品の優先譲渡権まで寄付額によって決まったりします。
日本のアートシーンでは、昨今、私立の博物館において賛助会員制度により海外の美術館に近いベネフィットを設定している所も増えてはきましたが、長年のあいだ寄付対象となるのが公共事業的な美術館・博物館がメインだったこともあり、ほとんどが「あくまでもノーブレス・オブリージなんだから。控除してるし」という程度の認識しか無いように思います。

…というのはこれまでの話。
インターネットの過剰とも言える普及により、実は寄付をベースとしたアート関連NPOの運営って楽になるのではないかというのが主題。

●そもそも寄付って何。何に使うの。
そもそも寄付とはなんぞやと申しますと、下記の2つを満たす収入。
・支出する側に拠出の有無と金額について任意性があること
・直接の反対給付1を受け取らないこと

アートにおけるNPOへの寄付の使い道を勝手に分類すると下記のようになる。
1.作品の制作費用
2.作品展示費用
3.作品の展示情報提供
4.作品の情報化(データベース化)
5.国際交流と海外への発信
6.啓蒙活動

ちょっと深読みしてみましょう。ポイントは「直接の反対給付を受け取らないこと」。
例えば、wikipediaへの寄付は広義の寄付なのか。
個人的には「任意のサービス対価」なんですが、定義としては寄付。
もうちょっと深く突っ込んでみる。
「不特定多数に対してインターネット上で公開されているメディアアートがある。その制作費と展示費用(サーバ代)を作品を指定して寄付する事は可能か?」
定款に芸術作品制作支援と芸術作品展示が入っていれば可能。対象を指定しての寄付は可能だが、法人の経理運営は面倒になる。
寄付を受けて制作した作品の権利はどうするのかという話はありますが、他所での展示および販売は作家に一任してタッチしない選択も可能。

●寄付の対価
インターネットが普及しようが時代が変わろうが、やはり寄付者には対価が必要。
なのですが、インターネットでのコンテンツやスキームに対する寄付の特徴として、実質的な事後支払いであることがあげられる。
例えば、「wikipediaに寄付するのはwikipediaを使ったことがある人」なわけで、
上記のメディアアート関連で言うと「当該作品または作家の過去の作品を誰でも見られる」という、対価の先出しが重要。

インターネットで対価の先出しが可能そうなものとしてぱっと思いつくのは下記。
多分ちゃんと考えたらまだまだある。
1.インターネット上で公開できるメディアアートへの制作費用・展示費用寄付→支援
2.インターネット上で展開できる展示情報提供(東京アートビートですね)
3.作品オンラインデータベース化→レゾネ化(公益型artprice?)

●課題
課題は投げ銭システムが必要であることとプロモーション。
インターネット上で寄付をする限り寄付者の特定は容易に可能だが、残念ながら寄付の手段自体が難易度が高い。
現在インターネット上で送金できるスキームは大きく分けて以下の6つ。
 ・インターネットバンキングを使用した銀行振込
 ・クレジットカード払い
 ・プリペイド
 ・電子マネー(主に携帯。ICカードリーダ経由は普及率からして無理)
 ・総合決済サイト(Yahooウォレット、paypal等)
 ・携帯キャリア課金
 ・iphoneのアプリ内での追加課金(税制とニッチさはあるけどアイデアとして)
選択と構築にあたっては、1に寄付の容易性、2にコストで選ぶしかない。もしくは作るか。
作るという選択肢を除外すると、選択肢は限られてくる。

小口の寄付を集めるのは結構難易度が高い。単純にPV数とコンバージョン率の勝負になるから。
近い存在で行くと、薄利多売型ECサイトの悪夢は結構ひどいものです。売り上げが片っ端から広告宣伝費に消えていく。
一社寡占的な状況なら違うのですが、競合がいるとひたすらコモデティ化一直線。
NPOだとコモデティ化はしないでしょうが、同額の寄付を得るために投下するサービスの増加という罠が待っている。小口の寄付を前提にしているとこれは致命的。
営利事業ではないからこそ、競合しないサービスの開発とviralに頼ったプロモーションを考えなきゃいけないというジレンマ。

なんか小口の寄付に拘ってるねーと思われるかもしれませんが理由は2つ。
インターネットでの小口投げ銭が心理的に容易なことは、iphoneや携帯でのApp売り上げ、各種楽曲の有料DLを見ていれば明らかだからなのが一つ、
もう一つは小口×多くの人からの寄付が認定NPOの要件だから。

●認定NPO化へのアプローチ
元々日本は1円玉募金小口寄付の社会ですから、薄く広く寄付を募るというありかたが正しいとされてきた。この考え方は現在も継続されており、社会的には認定NPOの要件であるパブリックサポートテストに反映されている。
パブリックサポートテストは、過去2年2の経常収入のうち、寄付金収入が一定割合以上であることが条件。
ここでいう寄付金とは寄付者1者あたりの寄付が1000円以上かつ総受入寄付金額の10%以下であり、寄付者が明確になっている必要がある。つまり、広く一般から支持されており寄付を受けていることが重要な要素。
インターネットでの投げ銭的寄付を積み重ねることは認定NPO要件を満たす方法として成立しうるかもしれない。
例示したiphoneや携帯でのApp売り上げ、各種楽曲の有料DLにおいては、1000円は決して小口ではないのだけれど…。

認定NPOになると何がありがたいのか。
まず、寄付時の控除額が増える3。個人からの寄付はほぼ全額が控除され、法人からの寄付は損金算入額が倍増する。
自ら税制は寄付に対する障壁の第一因ではないと別エントリで書いておいてなんだが、日本においては寄付の70%が法人からのものであり、法人のロジックは株主に説明がつくかどうかと損金算入が可能かどうかなのだから、法人からの寄付に対する損金参入額の増加メリットは得ておくべき。倍増した部分の金額は指定寄付金と認定NPOを含む特定寄付対象でしか損金算入できないため、一般のNPOよりも格段に寄付を受けやすくなる。
次に、イメージの問題。3万5千ほどあるNPOの中でも、認定NPOは60程度です。NPOにつきまとうアヤシゲなイメージから離脱が可能。
おまけで、新たにNPOを立ち上げて認定NPO化する際に、総寄付金額の10%となっている一者からの寄付金上限が、認定NPOからの寄付であれば50%になるため、別の公益事業をしようと思った時のハードルが低くなる。

ネガティブな面として情報公開範囲の拡大、青色申告と同等の経理、役員に占める親族/特定法人関係者の割合が1/3以下という程度の縛りはありますが、そんなの営利事業やってりゃ普通。
総事業費における80%以上、受け入れた寄付金の70%以上を特定非営利活動に使用していることという条件がありますが、微妙なのはこの項目。
寄付を求めるために使用できるのは最大でも総事業費の20%まで、寄付金の30%までという事になるのですが、決済会社の手数料率は非常に高い。やはり投げ銭システムが課題です。

ちなみに、具体的な例で恐縮ですが、現在東京アートビートが寄付を募っており、将来的に寄付収入が継続的に入ってくるのであればこのスキームに乗る可能性があるのではないでしょうか。
インターネットでの対価先出しであること、主たる事業への寄付であること、投げ銭システムを一応準備していることの3点は満たしています。
意図的に金額を1000円〜1万円に設定したのかは謎ですし、東京アートビートは別エントリで書いたようにその他事業収入と助成金収入が大きいため、認定NPO化は難しいかもしれませんが…。
⇒TABの人に聞いたところ1,000円〜に設定したことに大きな理由はない模様。投げ銭よりも意識的なコミットがほしいという事の現れだろうか?(1,000円は一般的に寄付として決して小さな額ではない)

●個人的にすごく気になっていること
ここまで読んだ気の長い方はいらっしゃるのか気になるところです、というのはさておき。
個人的にはアート関連NPOはもっと事業を拡大してほしいものです。自分で参入する余地があればやってもいいくらい。
しかし、できればアートに興味が薄い一般へのマトモな啓蒙活動(啓蒙活動について気になることはこのあたり)と作品制作への支援に活動を向けて頂きたいと思うのです。

以前からアート関連NPOの公的開示情報を見ていて一つ驚いた事があります。
作品の展示や制作の支援が定款に入っている法人とほぼ同数、啓蒙活動や作品の収集販売を併記している法人がある。
このエントリに書いた、資産家個人または法人が1名から数名で供出している資金で回っている事業者なのかもしれませんが、それにしては数が多い。
NPOで所有する以上は売却益を期待することは難しく、販売は税務上の課税業種と判断される可能性がある。にもかかわらず作品の収集販売を記載しているのはどういう事なのだろう。
⇒実際に販売を定款に記載してる人の一人と話して納得した

目的は不明ですが気になるのは1点、「多数からの実質的な出資を作品の価格に反映させるのは如何なものか」ということ。
海外において数年前からアートバブルが盛り上がり2008年のリーマンショックを起点として2009年にはじけた、ということがよくいわれます。
本当にバブルだったのかはじけたのはさておき、マクロ的には金融グローバリズムによって生じた富裕層の投資マネーがアート市場に参入したとされていますが、アドバイザーとギャラリーによる投資マネーの誘導と、一部のファンドおよびノンプロフィットセクターがプレイヤーとして参入し、他者の資産をアート市場への投資行為に突っ込んだという要素は大きかったのではないでしょうか。
⇒やっぱり過剰な価格コントロールはよろしくないと思うの。特にノンプロフィットセクターがやるのは。

  1. 一般に流通する商業的価値を持つ物品やサービス []
  2. 本来過去5年なのだが期間限定で緩和中。継続? []
  3. まあ確定申告が必要とか損金算入額の計算が面倒とかあるのですが []

アートと寄付について、アメリカと日本の税制とマインドにおれる比較、日本で同様の制度とマインドになった場合の超ラフな試算編。
本編はこちら

●アメリカにおける芸術分野への寄付金額
寄付金による各ノンプロフィットセクターへの支援が先進諸国中圧倒的に多いのはアメリカです。
2002年で約1.6兆円が芸術関連セクターへ寄付されています。(データ古くてすいません)
約1.6兆円という数字は、アメリカにおける寄付全体1の約6.5%。

●よくいわれる理由:節税効果
というのは間違ってはいないのですが勘違いされている点も多い。

アメリカの納税制度には概算控除と項目別控除がありますが、寄付をすると節税になるのはを項目別控除を選択している人だけです。項目別控除の選択者は約35%。つまり、65%の人はいくら寄付しようが納税額は変わらない。
項目別控除の人も、現金での寄付については相当分の所得を控除という仕組みなので100万円分寄付しても節税になるのは多くて35万。100万まるまる税金→寄付金になるわけではない。
参考までに一例を挙げると、アートセクターではないですがUnitedwayへの寄付者の41%は概算控除です。個別の寄付額はともかくとして、税制的に優遇されていなくても募金をするという意志が大きいということは読み取れます。

ただし、アートセクターに対してという限定であれば美術品の慈善寄付や売却にはちょっとした特典がつきます。
美術品売却時の課税は分離課税で28%ですが、美術品の慈善寄付控除適用税率は作品時価(保有期間が1年以下の場合は取得費)×通常の所得税率です。
結果、28%よりも高い所得税率で課税されている高額所得者は、美術品の売却代金を寄付するよりも、現物を直接寄付するほうが節税になる。
さらに、相続時売却においても相続発生時の時価×28%の優遇税率となるため、$10万以上の相続時には美術品を含む収集品の方が有利。
アメリカの高額所得者がアート作品に対して節税効果があると認識しているのは、そもそもこの税制があるからです。

●もっと重要な理由 : マインドと自身の来歴
アメリカでの大学入学においては、成績と同等に最低1年間のボランティア履歴が重視されます。
ボランティアするなら楽しい事や好きな事の方がいい、ということで美術館や博物館でボランティアをする人は結構多い。
結果、社会に出て金銭的な余裕ができると元働いたところに寄付をするというサイクルが成立しています。
節税以前に、楽しい思い出やがあるところに対して寄付をするという意識が強い。

アメリカ金銭的な余裕ができるまでの間になんらかの社会的な支援を受けた人が多く、自身が受けた支援を余裕ができたら社会に対して返済するという概念が浸透しているもの個人の寄付が多い大きな理由。

●困っちゃう理由 : 強気な寄付の依頼
アメリカの家庭やオフィスには、11月から年末にかけて大量の寄付依頼がやってくる。手紙やメールだけならまだしも、電話もノーアポ突撃も普通。
つきあいのある教会や大学はもちろんのこと、一回行っただけの美術館や楽団、アンケートに答えただけのNPO、どうやって調べたのか謎ですが聞いたこともない団体から日本の携帯にまで電話がかかってくる。なぜか居住したことのないフランスやイギリスの団体からまで電話がかかってきて閉口するのですが…日本在住なのに。
しかしまあ、強気な依頼と多額の広告費が効果があるのも事実のようで、毎年途切れることのない年賀状のように依頼が来ます。
おそらく、この強気極まりない営業活動も寄付の多さには影響しているはず。

●日本ではどうなのか
実は税制上は「寄付金(所得金額の40%を限度)−5千円」が所得控除となるので税制上はアメリカより有利だったりするのですが、年末調整では控除できないため、「確定申告すれば」という前提があります。
さらに、認定NPO法人や特定公益増進法人への寄付以外は控除対象になりません。
文化庁 : 文化関係の税制について

控除対象を広げりゃいいのにとも思いますが、広げたとしても年間数十万単位で寄付する人やイヤでも確定申告しなきゃいけない人ならともかく、ほとんどの人にとっては確定申告する手間の方が寄付による控除よりも重いのではないでしょうか。

マインド的には言うまでもなく寄付という活動が世間に染みついているとは思えず、寄付先を選定するという認識にも欠けている。
そして各公益増進法人やNPOは寄付依頼の営業を全くと言っていいほどしていない(宗教法人を除く)。

●もしマインドがアメリカ並になったら
どのくらいの寄付が期待できるのか試しに試算するために、まあアバウトに納税所得者=寄付ができる余裕がある人とする。
アメリカの平成19年納税申告者数は143百万人。年末調整制度が無いアメリカでは、日本での個人納税者合計数4657.5万人2に相当。
Unitedwayへの概算控除納税者の平均寄付金額$101を参考にして、仮にアメリカ同様に70%3が1人あたり1万円を寄付すると考える。アメリカでの家計ごと寄付額総額は収入の2.1%に達するので、寄付をするという文化が根付けば決してオーバーな数字ではないはず。
結果、寄付総額は326,025百万円、芸術セクターへの寄付は21,190百万円。+資産家の寄付が大きな上積み。

平成21年の文化庁予算は102,012百万円4

比率が芸術セクターまるごとなので寄付がどこに向かうのかはなんとも言えないが、単純計算すると文化庁予算に対して20%の上積みが期待できる可能性がある。
アメリカでは宗教セクターへの比率が高いこと、資産家の大口寄付を考慮に入れていない点を含めて考えれば、もっと大きな数字になってもおかしくはないのではないか。

しかしですね。増えたらどうなるのよ?が私の一番の疑問なわけです。
日本ユニセフの2008年度、日本国内で行われる広報・啓発活動等への賛助寄付金が7,700万円、開発途上国の子どもたちへの支援を目的とされた募金が170億円。
国境なき医師団の2008年度寄付金収入が31.3億円。
試算してみた芸術セクターへの寄付額は約212億。上記2団体の収入とほぼ同額になります。
…増えるのはいいけどいったい何に使うの?そもそもアートへの寄付っていくら必要なの?というのがさっぱりわからない。

以前から「芸術への寄付を損金対象に!」「税金の一部を投入先選択制にして芸術方面にもっと予算を!」と叫ぶ方々がいらっしゃるのは事実で、それはまあ悪いことではないんですが、いったいぜんたい何に使う気でいくら増えると思っているのかお伺いしてみたいものです。

  1. 寄付元の内訳は個人が約23兆円、法人が1.5兆円。
    寄付金の行き先は1/3が宗教団体、以下、教育、福祉、医療・保険、芸術・文化関連。 []
  2. 個人納税者のうち約16.7%が確定申告をしており、≒で寄付金控除の対象になりやすい人たちという事になる []
  3. 1999年のデータでなんですが、アメリカでは70%の家計が慈善団体に寄付をし、総額は収入の2.1%(寄付をした家計の平均は1,075ドル) []
  4. 一部の内訳を記載しておくと、
     新進芸術家やアートマネジメント人材等の育成予算として2,073百万円、
     文化発信のための国内基盤整備のうち美術館等活動の推進として37,248百万円、
     最高水準の舞台芸術公演・ 伝統芸能等への重点支援等として7,156万円。 []

医学と芸術:生命と愛の未来を探る 会期は〜2010年2月28日(日)、森美術館にて。

森美術館が時々行う、賛否両論覚悟としか思えないチャレンジ企画。そして今回は現代アート・近代美術・医学資料・医療器具とごった煮な上にいつも通り点数が多い。
1回で内容や意図を理解するのは私には無理…ということでオープニングレセプションとその後2回行っての感想と私見を幾つかの作品に絞って書いてみる。
 
 

森美の掲げたテーマは下記の3つ。
・どのように身体のメカニズムとその内部に広がる世界を発見してきたのか
・老いや病、そして死をどのようなものと捉え、またそれに対して、いかに抗ってきたのかを紹介
・なぜ生と死の反復である生殖を続けるのか、生きる目的や未来を読み解くことは可能なのか、そして生命とは何であるのか

個人的な鑑賞テーマは下記の3つ。
・生命と医学に対する執着と諦念、医学者や研究者の想像力はアートたり得るか
・戦争などの人為的な行為によらないではない生死はアートによって問題の提起ができることなのか
・多方面の技術が発達した今、テクノロジーを用いたアートは限りなく医学に近づいている事をどう考えるか

まず、本展の目玉はダ・ヴィンチの素描3点。1489〜1508年頃に描かれた、頭蓋骨の秀作(写真 森美術館blogより)、肝臓の血管、脳室。もちろん文字は鏡文字1
別の部屋に展示されていますが、今回の展覧会には、人体の不思議展の仕掛け人でもあるハーゲンス博士の薄くスライスした人体のプラスティネーション2が展示されている。プラスティネーションは「刺激が強いのでご注意」な作品ばかりを置いている部屋にて展示されていたが、流れとしては類似の制作手法3という点でダ・ヴィンチの素描に繋がるもの。

ダ・ヴィンチは芸術=科学に基づく創造として考えていた。ハーゲンス博士は、プラスティネーションについて「通常、死を直視するのは愛する人を亡くした場合に限られるが、このショックは大きいものだ。それゆえに死について考えることに心を閉ざしてしまう。私がしていることは、死体にプラスティネーション処理を施し、生きているときと同じような美しさでそれらを見せることによって、生と死の隔たりを狭めることだ」と語っている。
両者に共通する疑問と探求心は現代アートの相似形であり、意図や死について考えるという問いかけはアートたり得るが、美しいということは安易に隔たりを埋めることなのではないかという疑問を感じた。

ダ・ヴィンチの素描とハーゲンス博士のプラスティネーション、元はいずれも医学研究の産物だが、逆にアートの立場から医学を描いたものの一つが、ダミアンハーストの外科手術(マイア)(写真 森美術館blogより)
展示作品の制作年は2007年ですが、2005年夏に3男が生まれた時の帝王切開の様子を描いたもの。
「ヨメの帝王切開を作品にするかいな」という個人的な感想4はさておき、生死をテーマにしてきたダミアンの作品としては順当ですが、彼の他作品に対して決定的に違うのは、「倫理的に順当かつ写実的に描いた作品」ということ。自ら制約を設け、一体何を表現したかったのか。
この作品について作家が語っているのを不勉強にして知らないのですが、私は人間が別の人間に対して行う医療行為という行動の中にある道徳と倫理のように感じた5
今回の展示を見た人が現場で述べていた感想は「これ写真?」「うまいねー6」ばかり。この感想こそ、美しさが安易に死生観や倫理を考える事から逃れさせている証左ではないか? パートナーの帝王切開シーンだということが強調されることで、作家のメッセージがより伝わらなくなっているのではないかとも思う。

ちなみに、ダミアンは3男の誕生から2年後、18世紀の本物のスカルをかたどったプラチナに8601個のダイヤモンドを鏤めたFor the love of god(写真)を発表。
ダミアンは当時「アートが何なのかを気に掛けるのはやめた。ギャラリーの壁や床に展示してあれば、それが多分アートなんだろう」と発言していますが、これは私にはメッセージを作品に込めることに諦観したということとしか思えない。For the love of godは確かにインパクトのある作品ですが、何の問いもメッセージも感じなかった。

話は変わって、ウサギにクラゲの蛍光物質を作る遺伝子を組み込んだエドワルド・カッツ作品のGFDバニー。
遺伝子操作を動物に対しアートとして行ったことに対し、「神にでもなったつもりか」と批判的議論が発生した作品。
今回の展示、映像とパネルによるGFDバニーの反対側にある壁面には、研究者の男女が豚のような謎の生物を扱う4枚の組写真、サイエンス・ストーリー(作者 : パトリシア・ピッチニーニ)が展示されています。それぞれの写真単体のサブタイトルは実験・倫理・研究・命題と結論。狙って向かいに配置してるとしか思えない。

私にはこの作品の生物がGFDバニーの隠喩にしか見えなかった。そして研究者は大衆としての我々。まるで、男性はとまどいを、女性は具体的な解決に向けた行動を示唆しているようだ。
医療テクノロジーを用いたアートが暴走する可能性は既にカッツによって現実のものとして提示されているが、事象が拡大するとサイエンス・ストーリーの研究者はいずれ我々自身になる。

マジメなのばかりなのも何なのでおもしろ作品。ジル・バルビエの老人ホーム(写真 森美術館より) 。素直に笑えます。展示の中に書籍・雑誌が積んであるのですが、よく見ると何の本なのか分かるようになってます。ネタバレっぽいので内容は注釈にて7。見た目オモシロ作品において、死に対する意識や若さへの執着をここまでどストレートに表現しなくてもというのが個人的にツボでした。

最後に、上出惠悟さんの「髑髏 お菓子壷」三種。
個人的に好きな作家さんが出展しているのは素直に嬉しいし、1年前に新宿の伊勢丹でお会いして制作をお願いした方がまああっという間に偉くなってしまってというびっくり感。
それにしても気になるのは、なぜこの展示で上出さん…。確かに髑髏だけどさ!!
レセプションにてco-curatorの広瀬さんに尋ねたところ、「南條さん(森美館長)が上出さんの作品を好きで個人的に所有しているから」とのこと。
それはそれでびっくりなのでしたが、現代美術で良く扱われるメメント・モリ8と、九谷を含め陶芸での髑髏はコンテクストが違うという面白さを、観た人は分かるのだろうか。

  1. 私には解読できなかった。 []
  2. 身体を構成している水分と脂肪分をプラスチックなどの合成樹脂に置き換えて標本を作製する手法。顕微鏡レベルでの細胞組織の構成を殆ど保ったまま、素手で触れることができ、腐敗や悪臭を発生させない人体や動物の標本を作り出すことができる。 []
  3. ダ・ヴィンチは「脳室」において、鋳造の技法を使い検体の雄牛の脳に蝋を流し込んで標本を作製した []
  4. 実はうちの子供の出産時に、映像作品が作れないかと思ってヨメと話をしたことがある []
  5. 一連の作品の中にはダミアン自身が外科医に扮するという作品もあり、ちょっと自分の理解に自信が無いのですが… []
  6. 本作品は本人+16人のスタッフによって描かれたもの []
  7. 上から、上野千鶴子の「おひとりさまの老後」、「おちおち死んではいられない」、「趣味の水墨画」、老人向け雑誌「いきいき」、モノのセレクトにこだわったイマっぽいライフスタイル提案する雑誌「Pen」、30代女性向けファッション雑誌「Domani」 []
  8. ラテン語で「自分が(いつか)必ず死ぬことを忘れるな」という意味の警句 []

アート1を見慣れていない人からマニア級の人までごった煮でとある展示を見てきました。
そこでちょっと気になったこと。わりと苦言気味。

●アートについての啓蒙活動とは何か
ある場所に展示されている美術作品を語るには、いくつかの切り口が存在する。
個人的には下記の7つなのですが、1〜6は「知識が必要で解りにくい」らしい。
1.作品に含まれる思想や問いかけ
2.1に対する自分なりの解
3.作家の他作品や経歴
4.製作方法、技術
5.展示されている他作品との関連性
6.コンテクストに対する作品の位置付け
7.素直な面白さ

そもそもアートって何よというところからいくと、ジョン前田氏の言葉を借りれば「アートは問を発するもので、デザインはソリューション」。全くその通りだと思います。
デザイン=ソリューション=課題に対する解を提示すること=見る側にとっては解りやすい解を提示させること、
アート=問いかけを提示すること=解は見る側が考えるもの。

問いに対する解は人それぞれであるべきで絶対的な解は必要ないし、作品によっては、何を問いかけているのかすらも自分の解釈でいい。
さて、そこで「でもやっぱり難解なんだから解りやすくしましょうよ」と言われると困るわけです。
問いを発するものに対して解りやすい解決や解釈を与える事がアートの楽しみ方/啓蒙なのか?

それってカノッサの屈辱2の逆バージョンじゃないのかと思ってしまいます。
カノッサの屈辱は視聴者が知っている消費文化を諧謔的に遊ぶからこそ面白いのであって、逆にしてしまうと、アートの価値の一つである日常生活の範囲でしか思考しない事からの脱却を求めることを減じてしまうのではないかと。

アートの免罪符(言い換えるなら制約の無さ)は良い点でもあり悪い点でもあるのだけれど、
良い点である自由さや社会への問いかけを、解り易さという制約で狭めるのは間違っているのではないでしょうか。
悪い点として、好んで解りにくくしているような方もいらっしゃって、それはそれで如何な物かと思うのですけれども。

●長年見ているとエラいのか
時々いらっしゃいます。「**年見てきたけど云々」と仰る方。
そういう方に「あなたのコレクション(買うのはカネかかるので脳内でもOK)には何が入ってるのですか?その作品/作家を選んだ理由はなんですか?」と聞いてみた事も昔々あるわけですが、自分の基準を1つ以上明確にお持ちの方3もいらっしゃるものの、「そんなものはないが長年見ているとわかることがあるのだ」という方も多い。

ただ見てきただけで解るのはメインストリームの変遷くらいであって、テレビ垂れ流しと変わらんではないかと私は思うのですが、「美術館行きます、アート好きです」というのがステータスだと信じて疑わない方々4も結構多くいらっしゃるわけで、しかもそれが美術館に行く人のメインストリームであるのも事実。
アートは身近に置いて楽しむもの/考える材料にするものだという視点が欠けている人が多いのは、実はこういったテレビ的消費cultureとしてのアートという文化が根付いてしまっているからなのではないかと思うとともに、上で書いた「解りやすさによるアートの啓蒙」というのは、結果としてこういった「美術館に行くだけ」の方々が増えるだけなのでは…とも思うのです。

●所有する楽しみも体験してみましょうよ
「アートを買う」という行為はどうやら一般的にもの凄く敷居が高いようです。
そのためか、「ギャラリーなんて買えないから行けない」という方も多いらしい。
ウインドウショッピングのつもりで行けばいいと思うのですが…。

大御所モノの作品は手の届かない値段になってしまいますが、若手のものなら数千円数万円から入手できます。
運が良ければ、自分が惚れ込んだ作家が評価されるまでの経過を楽しんだ上に、持っている作品の価値が化けることもあります5
まるでインディーズバンドやジャニーズJrに入れ込む人みたいですが、若手作家の作品を買うというのは概ね似たようなところがあります。

何よりも、自分が惚れ込んだ作品を手元に飾るというのは楽しいこと。
工芸品をはじめとする使える作品であれば、飾るだけでなく使い倒してもいいのです。
臆せずギャラリーやアーティストに突撃してみて入手してみてはいかがでしょうか。
専属のギャラリーがある作家さんでなければ、直接作家から買うことも可能です。
私自身も作家の考え方や作品に込めた考えを聞いてから買いたい人間なので、作家さんと直接話をして買う/制作してもらう事が多いです。

ちなみに、ギャラリーで開催されるオープニングレセプションは大抵の所が一般客でも入れます。
内輪感漂いまくってる所に行くのが嫌なら友人を一人二人連れて行けばいい。
アーティストも来てるし作品も見れるしメシ食えるし6行って損はありません。

  1. ここでは主に美術作品に精神性や思想性、コンテクストに対する解決が求められるようになった後の現代美術を対象としてアートと書いています []
  2. 1990年4月9日から1991年3月25日までフジテレビで放映されていた、日本の消費文化史を歴史上の出来事に(無理矢理)なぞらえて解釈し、あたかも教育番組の様な体裁を取って紹介(講義)する番組 from wikipedia []
  3. 時折、沢山の基準があって覚えきれなかったりカネがかかったりしてる方もいらっしゃいますな。我が家もその一つですねはい。現代アート好きと工芸好きが結婚するとタチが悪いという例の一つ。 []
  4. 個人的には都美でよくみかけるおばさま方の集団を例に挙げる []
  5. よほど生活に困るか人生の転機でもない限り、大事に飾っておいてあげましょう []
  6. タダ飯タダ酒目的で行かないように!! []

青山スパイラルで今日から開催の上出長右衛門窯 上出惠悟さんの展覧会、”KUTANI CONNEXION“オープニングレセプション。
うちの奥様が惚れ込んだ作家さんで、お子様誕生を記念した内祝いの制作をお願いした作家さんでもあります。

詳細な紹介は弐代目・青い日記帳さんの記事をどうぞ。
スーパー手抜き。すいません(苦笑

1/20まで11:00〜20:00(会期無休)で開催中。ぜひどうぞ。
1月20日(水)19:00〜で森美術館館長の南條さんとのアーティストトーク。
1月9日(土)、10日(日)、16日(土)、17日(日)の各15:00〜と18:00〜にて、九谷の伝統文様や長右衛門窯ならではの絵柄を特別にシールにして、器に張り付けることで九谷焼の絵付けを気軽に楽しめるワークショップも開催。(作った作品は長右衛門窯で焼き上げた後お手元に届きます。
絵柄は新年っぽいおめでたい感じで楽しげでした。奥様は別のワークショップで既に参加済ですが俺はまだなので是非いきたい!

現在森美術館で開催中の医学と芸術展にも上出さんの作品が展示されています。
こちらもよろしければぜひ。

以下個人的感想というかびっくり。

鏡餅がでかくなってた!
我が家の新年ムービーに、もりぞうさんと一緒に出演している鏡餅が巨大化していました。
我が家の鏡餅もそまさんともりぞうさんと一緒に巨大化させたいものです。
20年後にはガレージいっぱいサイズの鏡餅+ゴジラサイズのもりぞうさんに!
すいません。妄想です。

↓はうちの内祝いにそっくりな(笑)作品(台上の杯2つ)。
上出さん作品元ネタは我が家の我が家の内祝いは奥様の要望でどちらも青+青海波、わんこはるーたんっぽく茶色の一回り大きな杯です。
内祝いは夫婦杯にしたので、青赤のコンビネーションでもよかったかなあ。
小ぶりのるーたんっ(ぽいわんこ)がキュートでした。(写真では白飛びしてますが、赤い杯の中にわんこ、青い杯の縁に一貫人がいます)
内祝いだ!とこっそり主張してみるとともに、気に入ってくれて作品化してくれたのはすごく嬉しい。

そして我が家の箸置きは奥様のごり押しご希望により一貫人(入って右手にある塗り物の台に乗ってる箸置き)になりそうです。

昨日は森美術館でアネットメサジェ展、荒木珠奈展のオープニングレセプション

→六本木でラムしゃぶ→バルト9のレイトショーでスカイクロラ。

今日は清澄白河ギャラリー巡り(chim↑pomのオープニング)→サントリー美術館で小袖展。
濃密すぎてへろへろになりつつ麻布十番のlolitaでご飯中。

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