ホントにこの手の話をしたい人、する必要がある人を除いて、twitter上で美術に関するカネや市場云々の話に参入するのは今後金輪際やめておくことにしますが、disrespectされるのを覚悟で最後に一度だけ思いっきりカネや市場の話。
私は市場が拡がることを望まない。
少し前の現代アートブームの時に市場が拡大して何が起こったかみんな忘れたのだろうか。
自分にとっては、既に玉石混淆なところに石が増えて、玉は私の財布では買えなくなるだけのことだった。
それがいい事だ、と仰る方はぜひ持論をお教え頂きたい。(単に私が見えていないものが多いか不勉強というだけかもしれないので…)
市場の拡大云々言っている人は、自分の考えていることが作品を株券化することなのではないかと一度考えた方がいいのではないでしょうか。
そして、上場することで企業はどのように変質しなければならないのか、公開株式市場における実質的な値付けは誰が行っていて同レベルのアート市場では誰が行っているのかについても。
その結果美術に関わる人たちの所得が底上げされると思っているとしたら大間違いだし、美しいものが増えるわけではないのですよ。美術は一般からなおさら遠ざかっていくだけなのではないかと思うのです。
私は、素人なりに自分の目を信じているし疑ってもいる。ありがたいことに周囲には確かな目を持っているギャラリスト、作家さんもいる。
玉は磨かないと光らないのは確かで、そのための投資は必要なのだから、自分+αの目を信じて何らかの形で金銭以外を目的に投資できる人が増えてほしいとは思う。
そういった事ができるかもしれない人に対してのプレゼンテーションは確かに不足していると思うので、私は素人なりに自分のできることをやるだけです。
別件のジャンル分け云々について。
一昨日からジャンル分け云々について話をしたりdisられたり無視されたりメールでストーキングされたりwしておりますが、具体的な持論の提示や活動提示がないのが残念。
綺麗事ではなく、作家も食べていけないと作品作れない、他者の評価がないと自分の作品をどうしていったらいいか分からないと本音を言える作家はいないのか。
ジャンル内での主導権を市場の手にしたがっている人は理由も方法論も語れないのか。
知名度を借りることしか方法を見出せないのか。
そもそもマクロで語れる人も自分の視点でものが言える人もいないのか。
もしある集団(剛結合な組織〜緩いコミュニティクラスタまで)に問題があるとしたら、そこで行っていることや作っているものではなく、自分自身の明確な視点と知見を持っていない人がリーダーシップを取っているという事に尽きると思う。企業でも趣味でも同じだけど。
さて本題。twitterで書いたことでもあるのですが、「あなたの作っている作品は何ですか」という事に尽きると思うのです。
美術作品ですか?陶芸作品ですか?器ですか?
美術作品だと仰るなら、「あなたは偶然または恣意的に陶芸という手法を使って器の形をした作品を作ったのですね」というだけではないのでしょうか。
形態、素材、手法、そんなものは方法論でしかない。あなたが美しいと思ったものを形にしただけであって、なぜそれが美しいかをプレゼンテーションすればいい。(できればご自身のコンテクストに基づいて)
評価する側は、自分の審美眼やコンテクストに基づいてその作品を見るなり買うなりするのであって、陶芸として見る人は陶芸として見るでしょうし、美術品として見る人は美術品として見るのですから。
もしも特定の誰か(個人/組織を問わず)にウケたかったら、対象が求めるコンテクストを構築して作品を作ればいいのです。
(このあたりは某有名作家さんの持論をそのまま引用したいw)
ジャンル分けなんてものは本来、自身の目を信じられない人に向けてわかりやすくするため以外の効果はない。
自分自身をそこで縛る必要はないし、そんな狭い領域で自分の求めるものを表現できる人は美術なんてやらない方がいい。
対極として、極く狭い領域における極点を職人的に目指す、という方向はアリですけどね。
美術作品としての広範な扱いでもジャンルの中ででも評価はされないと思いますけど、個人的には凄く好きです。
最後に、匿名のメールで知名度のある作家さんの言葉を引用した総論的な反論を頂いておりますが、記名でご自身の持論をお伺いさせて頂きたい。
追記。
アートを広める云々についてずっと違和感をもっていました。多少関わったり話をしたりもしてきましたが、違和感は消えることがなかったし増幅されてきた。
自分が楽しいと思うことを周囲に啓蒙したい人と、ビジネスとして成立させたい人の手段が混在しているからだというのも違和感の理由の一つではあるのですが、違和感の根本は、私にとっては「アートを広める」ということそのものが、誰かが美しいと思うもの可能性があるものを美術作品としてジャンル分けする事に見えるから。
(↑までを読んだ人のコメントでふと気がつきました。ありがとうございます。)
私は、美術館は美しいもののアーカイブであってほしいし、ギャラリーはギャラリストが美しいと思うものを展示し販売する場所であってほしいと思います。
そして、それは美術作品という呼ばれ方でもアートでなくてもいいとも思うのです。
広めるものでも鑑賞するものでも買うものでもなく、目の前にただあってただ美しい、それだけでいいんじゃないかと。
私は目の前に「いつも」あってほしいから買うだけ。
…まるでもの派みたいな言いようですけれど。
ライブCDを買うように、綺麗な器を使いたいように、PCの壁紙を変えるように、好きなものを手元に置いておく。
そこに多少の知識と自身のコンテクストとのマッチングがあれば、もう少し楽しくなる。
それだけなんじゃないですかね。
…まあ、そりゃあんたが作品持ってるから言えるんだろ、昔から見てるから言えるんだろ、あんたのコンテクストの何割かに美術と音楽があるからじゃないかと言われたら何の反論もできないんですけど…。

また書かせていただきます。
わたしも芸術市場の内容がない拡大によって増えたキモチワルイ居心地悪い作品の増加は忘れられず拡大賛成とはいえまえん。
だからこそジャンル分けが必要な気がしています。ジャンル分けというかジャンル作りというか・・・・。
制作者は自分が良い・美しい・作りたい・楽しい・と思うことを形にしたらそれでいいとお思います。一番大事なのは狭いジャンルにとらわれることでなく上記のことが一番です。しかし作品は制作者から独立していて自分の思いとは関係なくほめられたり貶されたり。そこかよ!というコメントをいただいたり。芸術の消費者と作品のやりとりになりますよね(制作者のファンでない限り)
昔ラルクアンシェルがビジュアル系とくくられて激怒したみたいに本人たちと消費者の捉え方は必ずしも同じではないと思うのです。
ただ、ラルクがビジュアルでもロックでもノージャンルでも結局何でもいいんですが、それを生業にしたとき、本業でたべていくんだ!という決心がついたとき一人では絶対無理な話であってさまざまな方たちの支援があって。
そういうジャンルに属したりジャンルを作ったり。そのほうがやりやすいのかなと。思います。
作品もたとえば「きれいなお花の作品ね」なんていわれて私はニヤニヤしますが、本当は花に見立てた女性の髪で憎悪もまぜたんだけどあ~。なのだけどいちいち説明するのが面倒で自分でも「あの花」とよぶこともあります。
なにがいいたいかといいますと、ガイドとして役立てるのはどうかなという提案です。
あとなんでもありと勘違いされないための敷居になればと思います。芸術は趣味でやっているのは別ですが。
ガイドとしてのジャンル分けは有用でしょうし、それをうまく使っていける作家さんやマネージメントが存在することも確かです。音楽の場合は複数のメディアや評論家、ファンによる自然発生的なジャンル分けによって細分化されてきているので功を奏す事が多いように思いますが、美術の場合はそもそも美術というジャンルの定義自体が明治に10〜20年代に政治的な目的をもって強引に定義され、美術に含むものを技法と素材によって区分してしまったものが現代に至っても継続してしまっており、日本における美術の課題となっているように思います。ジャンルに捉われず見るか、もっと市場に即したジャンル分けができればいいのでしょうけど。
コメントの内容から拝察するに作家さんですか?