医学と芸術:生命と愛の未来を探る 会期は〜2010年2月28日(日)、森美術館にて。
森美術館が時々行う、賛否両論覚悟としか思えないチャレンジ企画。そして今回は現代アート・近代美術・医学資料・医療器具とごった煮な上にいつも通り点数が多い。
1回で内容や意図を理解するのは私には無理…ということでオープニングレセプションとその後2回行っての感想と私見を幾つかの作品に絞って書いてみる。
森美の掲げたテーマは下記の3つ。
・どのように身体のメカニズムとその内部に広がる世界を発見してきたのか
・老いや病、そして死をどのようなものと捉え、またそれに対して、いかに抗ってきたのかを紹介
・なぜ生と死の反復である生殖を続けるのか、生きる目的や未来を読み解くことは可能なのか、そして生命とは何であるのか
個人的な鑑賞テーマは下記の3つ。
・生命と医学に対する執着と諦念、医学者や研究者の想像力はアートたり得るか
・戦争などの人為的な行為によらないではない生死はアートによって問題の提起ができることなのか
・多方面の技術が発達した今、テクノロジーを用いたアートは限りなく医学に近づいている事をどう考えるか
まず、本展の目玉はダ・ヴィンチの素描3点。1489〜1508年頃に描かれた、頭蓋骨の秀作(写真 森美術館blogより)、肝臓の血管、脳室。もちろん文字は鏡文字1。
別の部屋に展示されていますが、今回の展覧会には、人体の不思議展の仕掛け人でもあるハーゲンス博士の薄くスライスした人体のプラスティネーション2が展示されている。プラスティネーションは「刺激が強いのでご注意」な作品ばかりを置いている部屋にて展示されていたが、流れとしては類似の制作手法3という点でダ・ヴィンチの素描に繋がるもの。
ダ・ヴィンチは芸術=科学に基づく創造として考えていた。ハーゲンス博士は、プラスティネーションについて「通常、死を直視するのは愛する人を亡くした場合に限られるが、このショックは大きいものだ。それゆえに死について考えることに心を閉ざしてしまう。私がしていることは、死体にプラスティネーション処理を施し、生きているときと同じような美しさでそれらを見せることによって、生と死の隔たりを狭めることだ」と語っている。
両者に共通する疑問と探求心は現代アートの相似形であり、意図や死について考えるという問いかけはアートたり得るが、美しいということは安易に隔たりを埋めることなのではないかという疑問を感じた。
ダ・ヴィンチの素描とハーゲンス博士のプラスティネーション、元はいずれも医学研究の産物だが、逆にアートの立場から医学を描いたものの一つが、ダミアンハーストの外科手術(マイア)(写真 森美術館blogより)。
展示作品の制作年は2007年ですが、2005年夏に3男が生まれた時の帝王切開の様子を描いたもの。
「ヨメの帝王切開を作品にするかいな」という個人的な感想はさておき、生死をテーマにしてきたダミアンの作品としては順当ですが、彼の他作品に対して決定的に違うのは、「倫理的に順当かつ写実的に描いた作品」ということ。自ら制約を設け、一体何を表現したかったのか。
この作品について作家が語っているのを不勉強にして知らないのですが、私は人間が別の人間に対して行う医療行為という行動の中にある道徳と倫理のように感じた4。
今回の展示を見た人が現場で述べていた感想は「これ写真?」「うまいねー5」ばかり。この感想こそ、美しさが安易に死生観や倫理を考える事から逃れさせている証左ではないか? パートナーの帝王切開シーンだということが強調されることで、作家のメッセージがより伝わらなくなっているのではないかとも思う。
ちなみに、ダミアンは3男の誕生から2年後、18世紀の本物のスカルをかたどったプラチナに8601個のダイヤモンドを鏤めたFor the love of god(写真)を発表。
ダミアンは当時「アートが何なのかを気に掛けるのはやめた。ギャラリーの壁や床に展示してあれば、それが多分アートなんだろう」と発言していますが、これは私にはメッセージを作品に込めることに諦観したということとしか思えない。For the love of godは確かにインパクトのある作品ですが、何の問いもメッセージも感じなかった。
話は変わって、ウサギにクラゲの蛍光物質を作る遺伝子を組み込んだエドワルド・カッツ作品のGFDバニー。
遺伝子操作を動物に対しアートとして行ったことに対し、「神にでもなったつもりか」と批判的議論が発生した作品。
今回の展示、映像とパネルによるGFDバニーの反対側にある壁面には、研究者の男女が豚のような謎の生物を扱う4枚の組写真、サイエンス・ストーリー(作者 : パトリシア・ピッチニーニ)が展示されています。それぞれの写真単体のサブタイトルは実験・倫理・研究・命題と結論。狙って向かいに配置してるとしか思えない。
私にはこの作品の生物がGFDバニーの隠喩にしか見えなかった。そして研究者は大衆としての我々。まるで、男性はとまどいを、女性は具体的な解決に向けた行動を示唆しているようだ。
医療テクノロジーを用いたアートが暴走する可能性は既にカッツによって現実のものとして提示されているが、事象が拡大するとサイエンス・ストーリーの研究者はいずれ我々自身になる。
マジメなのばかりなのも何なのでおもしろ作品。ジル・バルビエの老人ホーム(写真 森美術館より) 。素直に笑えます。展示の中に書籍・雑誌が積んであるのですが、よく見ると何の本なのか分かるようになってます。ネタバレっぽいので内容は注釈にて6。見た目オモシロ作品において、死に対する意識や若さへの執着をここまでどストレートに表現しなくてもというのが個人的にツボでした。
最後に、上出惠悟さんの「髑髏 お菓子壷」三種。
個人的に好きな作家さんが出展しているのは素直に嬉しいし、1年前に新宿の伊勢丹でお会いして制作をお願いした方がまああっという間に偉くなってしまってというびっくり感。
それにしても気になるのは、なぜこの展示で上出さん…。確かに髑髏だけどさ!!
レセプションにてco-curatorの広瀬さんに尋ねたところ、「南條さん(森美館長)が上出さんの作品を好きで個人的に所有しているから」とのこと。
それはそれでびっくりなのでしたが、現代美術で良く扱われるメメント・モリ7と、九谷を含め陶芸での髑髏はコンテクストが違うという面白さを、観た人は分かるのだろうか。
- 私には解読できなかった。 [↩]
- 身体を構成している水分と脂肪分をプラスチックなどの合成樹脂に置き換えて標本を作製する手法。顕微鏡レベルでの細胞組織の構成を殆ど保ったまま、素手で触れることができ、腐敗や悪臭を発生させない人体や動物の標本を作り出すことができる。 [↩]
- ダ・ヴィンチは「脳室」において、鋳造の技法を使い検体の雄牛の脳に蝋を流し込んで標本を作製した [↩]
- 一連の作品の中にはダミアン自身が外科医に扮するという作品もあり、ちょっと自分の理解に自信が無いのですが… [↩]
- 本作品は本人+16人のスタッフによって描かれたもの [↩]
- 上から、上野千鶴子の「おひとりさまの老後」、「おちおち死んではいられない」、「趣味の水墨画」、老人向け雑誌「いきいき」、モノのセレクトにこだわったイマっぽいライフスタイル提案する雑誌「Pen」、30代女性向けファッション雑誌「Domani」 [↩]
- ラテン語で「自分が(いつか)必ず死ぬことを忘れるな」という意味の警句 [↩]
